赤坂見附から虎ノ門に至る「外堀通り」は、かつては、「溜池」とよぶ、外堀兼用 の上水源でした。
長さ1.4km、幅45m~190mといった大きさで、かなり細長い池でひょうたん池とも呼ばれていました。
慶長11年(1606年)に家康に恩義を感じた和歌山藩主浅野幸長の家臣矢島長雲が、現在の特許庁前交差点附近に堰を造って水をせき止めたのが本格的な溜池の始まりでした。
堰を越えて流れ落ちる水の音が大きく、「赤坂のドンドン」と呼ばれて、徳川秀忠の時代には、琵琶湖の鮒や京都の淀の鯉を放したり、蓮の花を 植えたりして上野の不忍池に匹敵する江戸名所になり、その眺望は四季を通じて美しかったようです。
矢島長雲はこの功績を後世に伝えるため、池の堤に印(紋所)の榎を植えたと 『江戸名所図会』にあり、今のアメリカ大使館前から赤坂ツインタワーの方へ下る坂を榎坂というのは、これに由来するものだそうです。
更に溜池の南岸には、池の土手を補強する意図からか桐の木が多く植えられ、 附近は「桐畑」と呼ばれました。
溜池は、宝永4年(1707年)と享保年間(1716~1736年)の間にその一部が埋立てられましたが、明治8年頃(1875年)から本格的に埋立てが始まり、 干潟となり広野になっていったようです。
更に明治15年(1882年)に今の特許庁付近に工部大学校を建設するため、 「赤坂のドンドン」と呼ばれた落し口を広げると急速に水が減少し、 明治18年 (1885年)には湿地帯の中に細々と川が流れている状態になりました。
続いて明治21年(1888年)に、もとは池であった場所に溜池町が成立され、翌明治22年(1889年)になると池は一条の細流を残して埋め立てられました。