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驚愕!江戸城は60m超の巨大天守閣だった
江戸の象徴として君臨した江戸城。その姿は、現在の皇居からは想像もつかないほど壮大でした。日本一の高さを誇る天守閣、巨大な鯱、そして広大な敷地。徳川幕府の権力を象徴するこの城の知られざる歴史と、驚くべき事実をご紹介します。
江戸城の驚くべき規模と特徴
日本最大の木造高層建築物
江戸城の天守閣は、完成時に五層六階建てで高さ約60メートルに達していました。これは当時の日本で最大の木造高層建築物でした。地下室まで備えたこの巨大な建造物は、徳川幕府の絶対的な権力を視覚的に表現していたのです。
大阪城を凌ぐ規模
江戸城の敷地面積は大阪城の倍以上あり、その広大さは他の城を圧倒していました。白っぽいスズの合金で覆われた屋根、白の漆喰と黒板の軒下、そして高さ3メートルもの巨大な鯱が特徴的でした。この威容は、将軍の権威を示すと同時に、他の大名たちに対する強力な抑止力となっていたのです。
江戸城の変遷:栄光と衰退
家康入城時の荒廃した姿
徳川家康が初めて江戸城に入城した際、その姿は想像を絶するほど荒廃していました。石垣もなく、雨漏りする屋根、泥だらけの畳、土間の玄関など、城とは名ばかりの状態でした。周囲は湿地帯や原っぱが広がり、人家もわずかしかない寂しい場所だったのです。
天下一の城への変貌
家康は全国の大名に命じて、この荒廃した城を天下一の城へと変貌させました。日本橋から銀座、築地にかけての地域は当時海中であり、人が住めるような場所ではありませんでした。この大規模な改築は、まさに徳川家の力を象徴する大事業となったのです。
江戸城の悲劇と遺産
明暦の大火による焼失
1657年(明暦3年)、振袖火事と呼ばれる大火により、江戸城の天守閣は焼失してしまいました。四代将軍徳川家綱の時代のことです。この火災以降、天守閣は再建されることはありませんでした。
現代に残る江戸城の遺産
現在の皇居は、かつての江戸城の面影を残しています。天守閣こそ失われましたが、石垣や堀、門などの一部は今も残っており、江戸時代の栄華を偲ばせています。江戸城は、日本の歴史上最も重要な城の一つとして、今もなお多くの人々を魅了し続けているのです。