「碑文谷」という名はとてもめずらしい名前です。
この名の由来は諸説あり、はっきりとはわかっていません。
1. 八幡宮境内に保存されている「碑文谷石」が起源という説
2. 鎌倉・室町時代のころから桧物(ひもの ※ヒノキを使った曲げ物)の職人がいたことから
3. 「世田谷城名残常磐記(せたがやじょうなごりのときわぎ)」にある「秘文(ひもん)の谷」が語源
などの説があります。
その中で一番有力なのが、1番の「碑文谷石」が由来という説です。
この「碑文谷石」は、現在でも碑文谷八幡宮の境内にある稲荷社に祀られています。
これは高さ約75cm、横約45cmの石に、梵字が彫られているもので、当時の人々の信仰を知る上での貴重な資料となっています。
※梵字(ぼんじ)とは、紀元前にインドに発達したサンスクリット語を表記するために用いられた字体。
密教においては仏の活動を表わすと考えられていて、一字一字が意味をもっています。
この石に書かれているのは、熱至菩薩、大日如来、観音菩薩を表す梵字です。
碑文石(ひもんせき) 説明板から
『この碑文石は、碑文谷の地名の起こりとなったともいわれ、当碑文谷八幡宮では信仰の遺物として、また歴史資料として、大切に保存に努めてまいりました。 碑文を彫った石のある里(谷)という意味から碑文谷の地名が起こりました。 碑文石の近くの呑川の川床に露出いていた上総(三浦)層群の砂岩で、普通、沢丸石〔サワマルイシ〕とよばれる石を材料としています。この碑の上方には、中央に大日如来(バン)、左に熱至菩薩(サク)、右に観音菩薩(サ)の梵字が刻まれており、大日を主尊とした三尊種子の板碑の一種とみられます。高さ七五センチヽ横(中央)四五センチ、厚さ一〇センチ、上部が隅丸、下部が下脹れのやや角張った形をししております。 碑大石は、昔、碑文谷八幡宮の西方を通っていた鎌倉街道沿いの土中に理埋まっていたものと伝えられ、大日と異系のニ種子を会わせて表わしているので、恐らく、室町時代のものとみられます。江戸時代の名著「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」などに碑文石のことが書かれています。この碑文石には造立の趣旨や紀年は彫られていませんが、中世の人びとの信仰状況を知る上に貴重なものです。
昭和五十八年四月 碑文谷八幡宮』
室町時代の頃のものといわれるこの石。
歴史を感じに、見に行ってはいかがでしょうか。
碑文谷八幡宮(ひもんやはちまんぐう)
【住所】
目黒区碑文谷3-7-3
【交通】
東急東横線「都立大学」駅より徒歩約15分