「夏目漱石」の名前を知らない方はいらっしゃらないと思いますが、千円札にも印刷されている日本が誇る文豪の一人です。
漱石は、1905年から「ホトトギス」に連載した「我輩は猫である」によって文人として知られる様になりました。
当時の漱石は、文京区千駄木町(現:本郷)に住んでいました。その家はかつて森鴎外も住んでいたことのある家だったそうです。
その後、漱石は教職を辞め1907年に新宿区早稲田南町へ住居を移しました。
この町で漱石は、「坑夫」・「三四郎」・「それから」等の代表作を発表し、1916年胃潰瘍で亡くなるまで住んでいました。
漱石の没後、1918年「我輩は猫である」のモデルになった三毛猫の13回忌にはこの猫をはじめ犬・小鳥達の供養搭を庭に建てました。
夏目邸は1945年の空襲で全焼し、その跡には都営アパートが建ち現在に至っています。
猫の墓(供養搭のこと)は、1953年漱石の命日に修復再建されて、
その一帯は 区立漱石公園(早稲田南町七番地)となり猫塚として現代に伝わっています。