「幡ヶ谷駅」
当時の地名である「豊多摩郡代々幡村大字幡ヶ谷(とよたまぐん よよはたむら おおあざはたがや)」より命名されました。
代々幡村は1889年(明治22年)に南豊島郡の代々木村と幡ヶ谷村とが合併して誕生しています。
後三年の役(ごさんねんのえき)※に出征する途中の源義家が、源氏の白旗をこの地の池「洗旗池」(はたあらいけ)で洗ったという伝説が地名の由来とされています。
肥前唐津藩小笠原家の邸宅内にあった60平方メートル程の洗旗池は、1963年(昭和38年)に埋め立てられ、高知新聞社員寮「洗旗荘」になりました。現在は記念碑が残されています。
※後三年の役:平安時代後期の1083年~1087年に起こった、奥羽を支配していた清原氏が消滅し、奥州藤原氏が登場するきっかけとなった戦い。
電車情報
【乗り入れ路線】京王新線
【停車列車種類】・急行・区間急行・快速・各駅停車
【ターミナル駅までのアクセス】新宿駅まで4分
【1日平均利用者数】30,116人(2012年)
幡ヶ谷駅の歴史
1913年 – 京王電気軌道の駅として開業。
1944年 – 東京急行電鉄(大東急)に併合。同社京王線の駅となる。
1948年 – 東急から京王帝都電鉄が分離。同社の駅となる
1978年 – 京王新線開通に伴い、現在地に移設、同時に地下駅となる。
幡ヶ谷駅エリアの雑学
幡ヶ谷駅
幡ヶ谷駅は首都高速4号新宿線と国道20号(甲州街道)の地下にあり、ホームは地下2階にある。
中柱のある相対式ホーム2面2線で、改札への上り階段は笹塚駅寄りにある。改札は地下1階で、改札内にトイレがある。
トイレは2005年夏から秋にかけて改装され、ユニバーサルデザインの一環として車椅子やオストメイトなどの利用にも対応したトイレを追加した。
改札を西向きに出ると地下自由通路で、右に行けば甲州街道の北側に、左に行けば南側に出る。いくつかのビルと直結している。