東京の三菱村

丸の内(千代田区)はオフィス街として有名ですが、東京駅西側には三菱グループ関連のビルが多く、そのため「三菱村」と呼ばれています。

この地は、江戸時代には御城内に位置し、譜代大名や旗本の屋敷が立ち並ぶ一際格の高いエリアでした。
三菱は、土佐の下級武士出身の岩崎弥太郎によって築かれました。
練兵場跡地となったこのエリアを明治政府から手に入れ、東京の「経済/ビジネスの中心地」に育て上げたのです。皇居の前に位置するため建物の高さ制限をし、商業集積も排除することになりましたが、かえって「穏やかな環境」が作られました。

平成14年(2002年)9月・丸ビルのリニューアルを期に、平成16年(2004年)9月にオープンした「丸の内オアゾ」や「丸の内MY PLAZA」が建てられ増した。
その他にも、ショップやレストランなどの商業施設が充実した「超高層の複合ビル」の建設ラッシュが続いています。

オフィス街という性格の影響もあって、丸の内の土日には人影もまばらになる、三菱系大企業の業務機能に特化した「一大オフィス街」になったのです。

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