第70代、後冷泉天皇の天喜年間(1053~57年)に奥州に乱が起き、この乱を 鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義公(みなもとのよりよし) (985-1078年、平安中期の武将。
頼信の長男)の軍がこの大宮の地に さしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗が 翻る様な光景となりました。
源頼義公はこれは八幡大神の御守護の印であると喜ばれ、乱を鎮めた暁には 必ずこの地に神社を構えることを誓って武運を祈り出陣されたそうです。
そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063年)京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。
また、その子八幡太郎義家公(みなもと-のよしいえ:1039-1106年、平安後期の 武将。頼義の長男、義光の兄)も後三年の役(平安後期、1083~87年に、奥羽の 豪族清原氏が起こした戦乱)の後、父にならい大宮八幡宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。
また、かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」と称されておりましたが、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀器具が発掘され、この地は太古からの聖域だったそうです。
大宮八幡宮のお祭りは、
1月に、どんど焼
5月に、ツツジ祭
11月に、菊花展が開かれます。
9月には「菊被綿(きくのきせわた)飾り」の祭りが開催されます。
9月9日、重陽の節句は菊の節句ともいわれますが、平安時代に行われていた宮中行事・菊被綿飾りを、
清涼殿にて再現するそうです。
この祭りは実に盛り沢山の内容です。
その幾つかをご紹介致します。
「例大祭」
秋の実りを大神様に感謝するとともに、氏子崇敬者各位の安泰と国家社会の隆昌発展を願う一年に一度の大きなお祭りです。
「舞楽の奉納」
佼成雅楽会の皆さんにより、神楽殿に於いて舞楽が奉納されます。
「小笠原流・草鹿式」
小笠原流宗家・小笠原清忠氏率いる小笠原一門によって奉納される弓の神事です。
草鹿式は源頼朝の富士の裾野の巻狩りに由来するもので、草を束ねた鹿を作り、これを的として射術の稽古をしたのが始まりと云われます。
的奉行、矢見、日記、射手、介添えなどの所役がおり、そこで交わされる問答は鎌倉時代を想像させます。
「野点の開催」
裏千家淡交会東京第七東支部により、境内菩提樹下で開かれます。
「杉並太鼓の演奏」
立正佼成会杉並教会所属の杉並太鼓の皆さんにより、神楽殿で奉納演奏、 勇壮な太鼓の音が境内に響き渡ります。