JR四ツ谷駅の南方向に、まるでヴェルサイユ宮殿を思わせる館があります。
赤坂御用地の一角にあるこの荘厳な建物は迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)とよばれ、外国の大統領や首相などの賓客に対して、宿泊その他の接遇を行う ために設けられた、国唯一の施設です。
もともとここは江戸時代、八代将軍となった吉宗で有名な紀伊徳川家の江戸屋敷だったものを、明治に入り徳川家から皇室に献上されたものだそうです。
その江戸屋敷の跡に、当時の東宮御所として赤坂離宮が建てられました。
第二次大戦後、赤坂離宮は国会の所有に移され、そこに国立国会図書館、 内閣法制局、弾劾裁判所等の政府のオフイスがあったそうですが、昭和30年代 、「日本も国の迎賓施設を持つべき」と、赤坂離宮を改造することが 決定しました。
赤坂離宮は1909年(明治42年)、10年の歳月と約500万円(約175億円)の巨額を費やして、当時の日本の科学技術と美術工芸の粋を集めて建造された明治近代建築の集大成でした。
この建物は、山口県出身の片山東熊(かたやまとうくま)〔1854年(安政元年) ~1917年(大正6年)〕の設計になります。
明治維新後、横浜で英学を学び、1879年(明治12年)英国建築家コンドルが教鞭をとる工部大学校造家学科(東大工学部建築学科)の第1回卒業生となります。
有栖川宮家建築係・外務省御用係などをへて、1886年(明治19年)から宮内省に勤務、生涯を宮廷関係の建築造営にすごします。
特に赤坂離宮の建築は彼の代表作になります。
東宮御所は、皇太子(後の大正天皇)が新婚生活の為に建設したのですが、東熊が宮廷の完成を奏上した際、明治天皇はひとこと「贅沢だ」と洩らされ、皇太子も室内配置やトイレの数等お気に召さらず、ついに移り住まれなかったと聞きます。
迎賓館
港区元赤坂2丁目