神保町の名前は、江戸時代の元禄2年(1689)、幕臣の神保長治が神田小川町に邸地995坪を賜ったことに由来していると言われています。
神保小路という呼び名が生まれ、明治には周りの武家地を合わせ、南・北・表 ・裏神保町が誕生しました。
そして昭和になり再編成され、猿楽町、今川小路なども吸収して現在の神保町 へと発展したそうです。
神保町が本の街として有名になったのは、第一次世界大戦後の大正期から 昭和初期にかけてです。
その背景には
「神田に所在する私立大学の拡張・・・・・・一般に中間層、知識階級の大量 創出、その上に立つ出版業の発展」(『千代田区史』)があったそうです。
本屋の店構えは、日差しを避けるため、すべて北向きだそうです。
辞書類の出版で知られる三省堂も明治14年創業の古本屋からはじまり、当時、 大型で高額だった辞書を携帯に便利なように小型化して出版したところ印刷が 間に合わないほど売れ、現在の出版社の基盤をつくりました。
大正2年、やはり古書店として出発した岩波書店は、正札販売を掲げ、それまで客と店員のかけひきで曖昧に決められていた書籍の価格を正札通りの価格で販売する方法で注目を浴びました。
岩波書店では客から書籍が他の書店より高いといわれると、売らずに奥に引っ込め、他店の価格を調べ、それより安い正札をつけて店に並べました。
岩波の正札販売は次第に客の信頼を集めて、やがて正札販売は古書店街じゅう に広がっていきました。