中央区日本橋馬喰町は、隣接する日本橋横山町とともに、江戸時代から続く歴史のある老舗問屋街として知られています。
その名から分るように、古くは馬市の立つ町でした。
天正18年(1590年)、徳川家康江戸入城のころ、府中の馬市をこの町で行うようにし、高木源兵衛が馬の売買・仲介を行う幕府博労頭として名主に指名されました。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの際には、ここで馬ぞろえ(出陣前の馬の検閲と演習)が行われたといいます。
初め博労町と書き、正保(1645年~1648年)のころ馬喰町に改められました。
明暦の大火(1657年)の後、浅草御門、今の浅草橋たもとに関東郡代の屋敷が置かれると、地方からの公事師(訴訟代理人)のための旅籠屋が増えてきました。
横山町に隣接していたことから、各地から訪れる仕入れ、売り込みの商人たちの出入りも盛んで、大小の旅籠が集中し、江戸一番の旅館街として活況を呈したといいます。
旅館のほか、江戸土産を求める人のために小間物、化粧品、煙草、袋物などの店も多くなり、やがて馬喰町問屋街として開けました。
現在は、およそ1500に及ぶ卸商社や店舗が軒を並べる『日本最大の問屋街』になっています。
各商社では衣料品・ファッション雑貨・生活雑貨・文具をはじめ、生活のあらゆるシーンを彩る多彩な商品をタイムリーに取り扱っており、日本全国の小売店を中心に大勢の得意先が仕入れに訪れ、毎日が活気にあふれる『商業の街』になっています。
中央区・日本橋地域の最北端に位置し、千代田区(東神田)台東区(浅草橋)との区境にあたります。