東京・築地の新橋演舞場と有楽町の日比谷公園とを結ぶのが「みゆき通り」。
銀座通り(中央通リ)と交差して、銀座5丁目と6丁目の境目を、晴海通りと平行に伸びる全長約1.2kmの道程になります。
名前の由来は、明治期に明治天皇が海軍兵学校、海軍大学校等々への行幸(みゆき)の際、また浜離宮へのお成りの時、この通りを行幸路とされたため、いつしか「みゆき(御幸)通り」と呼称されるようになったといわれています。
もっとも、江戸時代には、築地周辺に屋敷を持っていた諸大名が江戸城に登城の際に利用したと伝えられていますので、「みゆき通り」は歴史の中でも、その名が示すように由緒のある通りだったのです。
さて、もうひとつ。全国にその名を轟かせたこんな逸話もありました。
戦後復興を急速に進めるなか、銀座にはハイセンスな洋品の専門店が多く集り、そのため、流行を求める多くの人が集るようになりました。
1960年代になるとアイビールックを取り入れた若者が集結し、みゆき通りを闊歩することから「みゆき族」の名が生まれました。彼らは反社会的な騒乱を起こすことは無く、ただたむろするだけだったのですが、店先に留まることを良しとしない店側との軋轢や、東京オリンピック開催に向けて混乱を避けたいという方針から、築地警察署による一斉排除などの騒動にまで発展。
全国ニュースとして報じられ、「みゆき通り」は「みゆき族」という社会現象と共に広く知られるようになりました。
銀座の歴史をを語るのに忘れてはならないエピソードです。
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