広尾の「鼠塚」とは?ペストとねずみ供養の歴史

鼠塚
広尾といえば、おしゃれな街並みや高級感漂うエリアとして知られていますが、そんな街に「鼠塚」という不思議な史跡があるのをご存じでしょうか。明治時代、ペスト流行により犠牲となったねずみたちを供養するために建てられたこの 碑には、広尾の知られざる歴史が刻まれています。今回は、祥雲寺にあるこの「鼠塚」にまつわるエピソードをご紹介します。

広尾の鼠塚とは?その歴史的背景

鼠塚が建てられた経緯

広尾の祥雲寺にある「鼠塚」は、明治時代末期にペストが流行した際、感染源とされたネズミたちを供養するために建てられた動物慰霊碑です。明治33年(1900年)、東京でペストが猛威を振るい、多くのネズミが駆除されました。その犠牲となったネズミたちの霊を慰めるため、明治35年(1902年)に建立されました。

碑に刻まれた詩とその意味

鼠塚の裏側には、「数知れぬ 鼠もさぞや うかぶらむ この石塚の 重き恵みに」という歌が彫られています。この詩は、駆除されたネズミたちへの感謝と供養の気持ちを表しています。当時の人々は、疫病から解放された喜びとともに、その犠牲となった命への敬意を忘れなかったことがうかがえます。

祥雲寺と広尾エリアの歴史

祥雲寺の由緒ある背景

祥雲寺は寛永6年(1629年)に創建され、初代福岡藩主・黒田長政公を祀るために建立されました。境内には江戸時代から続く大名家の墓地が並び、東京都渋谷区の文化財にも指定されています。また、東京大空襲を免れた本堂や、美しい庭園も見どころです。

広尾エリアと武家屋敷の名残

広尾は江戸時代、武家屋敷が立ち並ぶ閑静な地域でした。現在では高級住宅街として知られる一方で、祥雲寺や鼠塚など歴史的なスポットも点在しています。こうした場所を訪れることで、広尾の過去と現在が融合した独特の魅力を感じることができます。

鼠塚が伝える教訓と現代へのメッセージ

疫病との戦いと供養文化

鼠塚は、疫病との戦いにおいて犠牲となった命への感謝と供養の象徴です。ペストという恐ろしい感染症を克服するため、多くの命が犠牲になりました。その歴史を振り返ることで、人間社会がどのようにして困難を乗り越えてきたかを学ぶことができます。

現代における鼠塚の意義

現代ではペストは過去の病気となりましたが、鼠塚は命への尊重や自然との共生について考えるきっかけを与えてくれます。この碑を見ることで、人間だけでなくすべての生き物に対する敬意や感謝の心を育むことができるでしょう。

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