御茶ノ水駅辺りの神田川は、江戸城防御のため外堀の一部として、仙台藩伊達家が工事を担当し造られました。
このため神田川の別名を「仙台掘」とも呼ばれています。
その神田川を挟む湯島と神田駿河台の両岸一帯の通称である「お茶の水」は、行政上の地名ではありませんが駅(御茶ノ水)や橋(お茶の水橋)、大学(お 茶の水女子大)の名前などに多く使われています。
駅近くの交番そばに「お茶の水」由来碑があり、これによると、慶長期(1601 年頃)に近くにあった高林寺の庭に清水が涌き出ていたそうです。
水の水質を二代将軍家忠がほめ、お茶用に献上しました。
以来、この周辺をお 茶の水と呼ばれる様になったそうです。
江戸時代のお茶の水周辺は緑深く、夏でもひんやりとして、蛍も舞う渓谷美は、中国の赤壁(せきへき)にも例えられ、当時の風流人から「茗渓(めいけい )」と呼ばれたそうです。
「茗」とは茶を意味する言葉です。
お茶の水の名水は、後に神田川が拡張した際、流れに没し、高林寺も文京区向丘に移りました。
しかし、名水の歴史は地名として今も生き残っています。