「置いてけぼり」の語源と本所七不思議の秘密を解き明かす

置いてけ堀
江戸時代から語り継がれる本所七不思議。その中に隠された「置いてけぼり」の語源をご存知ですか?墨田区に伝わる不思議な話が、私たちの日常語を生み出した秘密を探ります。怪談と言葉の歴史が交差する、驚きの物語をお楽しみください。

「置いてけぼり」の語源と本所七不思議

「置いてけぼり」の意味と由来

「置いてけぼり」は、一緒にいた人を置き去りにすることを意味する日本語表現です。約束の時間に遅れた人を待たずに先に行ってしまうことも指します。この言葉の由来は、江戸時代から伝わる本所七不思議の一つ、「置いてけ堀」(または「置行堀」)の伝説に基づいています。

本所七不思議とは

本所七不思議は、現在の東京都墨田区(旧本所)を舞台とした奇談・怪談の集まりです。江戸時代から語り継がれ、都市伝説の一つとして、また落語の題材としても親しまれてきました。七不思議には7つ以上の話があり、「置いてけ堀」はその中でも特に有名な話の一つです。

「置いてけ堀」の伝説

怪異の内容

「置いてけ堀」の伝説は次のようなものです。本所にあった堀は魚がよく釣れる場所として知られていました。しかし、釣り人が魚を釣って帰ろうとすると、どこからともなく「おいてけ~おいてけ~」という奇妙な声が聞こえてきます。この声を無視して魚を持ち帰ろうとすると、何らかの怪異に遭遇するというのです。

伝説のバリエーション

「置いてけ堀」の伝説には、いくつかのバリエーションがあります。多くの場合、釣り人が家に帰って魚籠を確認すると、釣った魚が消えていたというものです。より恐ろしいバージョンでは、水中から手が伸びてきて釣り人を引きずり込もうとしたり、妖怪が出現したりするというものもあります。江戸時代の浮世絵師、三代目歌川国輝の絵では、魚を置いていくよう指示する幽霊のような化け物が描かれています。

「置いてけ堀」の舞台と現在

伝説の舞台とされる場所

「置いてけ堀」の舞台とされる場所には諸説あります。最も有力とされるのは、現在の錦糸町駅近くにあった「錦糸堀」です。他にも、御竹蔵(おたけぐら)周囲の堀(現在の横網一丁目および二丁目付近)なども候補地とされています。御竹蔵は江戸幕府の資材置き場で、その範囲は広大で、現在の横網町公園から江戸東京博物館、さらには両国国技館までを含む広い地域だったとされています。

現代における「置いてけ堀」の痕跡

現在、「置いてけ堀」の伝説が伝わる場所の多くは都市化により姿を変えています。しかし、墨田区では本所七不思議を含む地域の歴史を大切にし、観光資源として活用しています。墨田区街歩きガイドには本所七不思議が案内されており、「置いてけ堀」の伝説も紹介されています。また、東京スカイツリー周辺の観光と合わせて、この地域の歴史や伝説を楽しむことができます。

置いてけ堀

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。