坂の由来(2)

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一口坂(ひとくちざか) [千代田区九段北3丁目と九段北4丁目の間]
一口坂、 と書いて「いもあらいざか」とも読みます。
「いも」はあばた、疱瘡(ほうそう)、天然痘(てんねんとう)などの皮膚病 を指し示します。
種痘(しゅとう):天然痘を予防するため、 痘苗(とうびよう)を人体の皮膚に 接種すること)の無かった江戸時代、 神仏に治療を祈願するのが最適の方法で した。
そうした「いも」(皮膚病)を霊験あらたかな水で清めて「洗う」(治す)ところから、こうした名前がついています。
東京では神田駿河台(別名:淡路坂(あわじざか))、そして千代田区九段北の二 ヶ所があります。
九段北のこの坂付近には大きな沼があったようですが、疱瘡を治してくれる 神様がいた記録は無く、名前のみが残っています。

鉄砲坂(てっぽうざか) [新宿区若葉3丁目]
鉄砲坂は数多く存在しており、そのほとんどの名前は江戸時代に鉄砲の射撃に用いたことに由来します。
坂の切り立った崖は格好の射撃場でした。
しかし、この坂は特別です。
有事には将軍の鉄砲を預かり、与力同心を率いる「御持筒組」(鉄砲隊)の屋敷が数多く存在していたのです。

帯坂(おびざか)[千代田区九段南4丁目と五番町の間]
「怪談・番町皿屋敷」で有名なお菊さんに由来します。
若い方は、「番町皿屋敷」をご存知ない方もいらっしゃるようなので、 あらためてご紹介させて頂きます。
平塚新宿の名主・真壁源右衛門に、美しく気立てのよい「お菊」という名の娘がおりました。
お菊は源右衛門と親交のあった旗本の世話により、 江戸番町に邸を構える火付盗賊改役(ひつけとうぞくあらためやく)・青山主膳の奥女中に迎えられ、江戸へ行きます。
ところが、お菊はそこで、青山家秘蔵の南京絵皿10枚揃いのうちの1枚を 割ったと、ぬれぎぬを着せられ、殺されてしまいます。
1740年2月のことで、当時お菊さんは24歳だったといわれます。

その彼女が屋敷前のこの坂を髪を振り乱して、帯を引ずって走ったことから、 この帯坂と言う名前が生まれました。
彼女の死後、夜毎その井戸にお菊さんの幽霊が出て、皿を数え、9枚まで数え て「1枚足りない」と恨めしそうに言う声が聞こえたと言います。

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