大田区仲六郷にある「落馬止め天神」(北野天神)は、徳川八代将軍吉宗の馬が暴走した時に、落馬を止めたと伝えられております。
誰が将軍の馬を止めたのでしょう?
それは、将軍自身が自分で止めたと思われますが、将軍吉宗は、「これは、北野天神の御加護に違いない!」と思ったようです。
江戸時代、旧東海道仲六郷の一角に、「柳生様」と呼ばれていた所が有りました。
「柳生様」とは、将軍指南役の屋敷、柳生家留守居役の屋敷、馬別当の家、馬屋、忍者の家等があった地域を指して呼ばれていたそうです。
柳生とは、あの「柳生心影流」の柳生家で、その地域は「柳生の郷」と いった方が通りがいいかもしれません。
その柳生家がここに居を構えたのは、将軍の落馬を止めた「北野天神」にあやかったものだといわれています。
昔から馬の乗り方を「天神乗り」といい、天神様は乗馬の神様だそうです。
柳生家は江戸末期まで、この地で馬屋と北野天神を守ったそうです。
将軍の「落馬」を止めた天神様の評判は旅人等によって広まり、東海道を行き来する大名や武士は、落馬止め天神と呼び文武のより所とし、近郷の住民は 「落馬」という言葉を除いて「止め天神」と呼ぶようになったそうです。
「落馬止め」は、「落ちない」「滑り止め」に通じるとして、受験生や政治家も多くお参りに訪れています。